横浜市中区根岸台(根岸線桜木町駅バス根岸駅行旭台下車1分)
バス停を降り、根岸森林公園の入口を入るとうっそうとした木立の間から黒ずんだ巨大な鉄筋コンクリート造のスタンドが見える。ここが近代洋式競馬の発祥地である根岸競馬場跡(ねぎしけいばじょうあと)である。
外国人居留者により、わが国で最初に競馬が開催されたのは、1861(文久元)年に桜木町駅前の弁天橋付近の海岸を埋め立てて造られた馬場である。その後、1862年、生麦事件の賠償の一つとして英国は競馬場の造成を幕府に要求し、その結果、競馬場は現在の中華街を囲む地域に造られた。同年8月1日にはそこで第1回横浜ダービーが開催された。この競馬場は翌年に廃止され、新たな競馬場は現在の港の見える丘公園周辺の英軍20連隊の練兵場の一画に造られた。貿易の活性化で外国居留者もふえ、より広い馬場を求める声が高まった。幕府は諸外国と横浜居留地覚書を締結し、吉田新田の沼地に競馬場を確保することを約束した。しかし、あいつぐ外国人殺傷事件により、外国人の生命安全の確保から外国人遊歩道内の根岸村に馬場が建設されることになった。1865(慶応元)年6月に工事が開始され、翌年に幅32m、外周1.9kmの馬場と、70m四方の馬見所が竣工した。1867年春には競馬が開催され、以後、毎年春と秋に開かれるようになった。1902(明治35)年11月には、日本ダービー賞典が催された。
1866年に完成した施設は関東大震災で大被害を受け、昭和4年に今日残る鉄筋コンクリート造のスタンドが、総工費40万円をかけて完成した。昭和17年10月まで競馬が開催されたが、翌年には海軍に接収され、敗戦後はアメリカ軍に接収された。昭和44年に競馬場地区の日本への一部返還が決定し、横浜市と中央競馬会の所有となり、森林公園として市民の憩いの場となっている。昭和54年には馬の博物館が開館し、馬に関する資料が集められ人間と馬とのかかわりについて展示している。
参考 神奈川県の歴史散歩 山川出版社 1996
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