現在のイオン本牧は、アメリカ軍の接収地が返還され、1989年4月30日に「マイカル本牧」としてオープンしました。
当時は、バブル時代の絶頂期で、同年の前月3月25日からは横浜博覧会が開催され、4月1日からは消費税制度が税率3%として導入が開始されていました。
なんと!初年度は、東京ディズニーランドの入場者を上回る人達で賑わいました。
そんな時代のマイカル本牧関連資料を、アーカイブとして残そうと思います。
建設用地
マイカル本牧建設前(奥のマンションは、パークシティ本牧)
この土地は、1700年位までは天徳寺の境内で、戦前は民家がびっしりと存在した。戦後は、米軍に接収されエリア1と呼ばれ接収解除後は更地となり、三井不動産によって先に「パークシティ本牧」が建設された。バブル期でもあり、「ハマの億ション」と呼ばれ庶民の憧れだった。後に、マイカル本牧が建設を開始する。
センター地区の構想図
横浜市の「新本牧まちずくりの道標」
接収解除後の更地にセンター地区をショッピングモールにする計画の初案で、マイカル本牧の原案となった。既に、公道を跨ぐデッキが見受けられる。
建設中の写真
3番街から5番街を撮影(あぶない刑事)と、現在のベイタウン5番街
工事中の外壁アート
町田 様は、横浜を代表される写真家で、素敵な写真を掲載されています。
従業員募集
SATYでの契約社員と、パートタイマー・アルバイト募集広告
かなり大勢の人員が必要だったと思います。オープンの告知も兼ねて、こう書かれています。「インターナショナルな小粋な街。SATY、VIVRE21をはじめ、ファッション、スポーツ、カルチャー、アメニティ、レストランなど180の専門店が集う本格的アーバンリゾートの街」
オープンの宣伝広告
SATY 1番街・2番街の広告(表紙、裏表紙)
SATY 1番街・2番街の広告(中見開き)
ヨコハマに来た初夏は、地球サイズのアーバンリゾートの街・マイカル本牧。1番街・2番街は、ほどよいふだんのサティ。ふつう以上、よそゆき未満のいいこと多い生活美術館。着ごこち、住みごこち、食べごこち…いろんな生き方、ここちよく、あなたらしい、ふだん遊ばせ。
<1番街サティ>
近海直送の旬の魚介を楽しむフィッシャーマンズワーフを中心とした1F食のフロアー。私のスタイルをセレクションするファッションとホビー。2F・3Fはレディース、4Fはメンズ、5Fはお子様のフロアーです。
<2番街サティ>
大きなスペースにAVとホームエレクトロニクスをレイアウト。住まいのコンサルティングから家具、インテリアまでトータルプランニングでお応えするフロアもそろいました。
パンフレット
5番街のスポーツ施設
AQULAのパンフレット
自然と人間と。
アクラのエアロビクス・スタジオの床下には、振動吸収のための「システムクッションフロア」が内蔵され、激しい運動時の衝撃を吸収しています。運動プログラム内容の研究と併せて運動障害の発生を抑える。こんな普段気づかないところ、また見えないところにも気を配り、自然と人間の関係をみつめながらアクラは「人にやさしい」クラブ環境を整えています。
トウメイな水。
アクラのプールも、人にやさしいクラブ環境づくりに一役かっています。オゾンの力で塩素を最小限におさえ、無色・無臭で目にやさしい無菌プールです。
高次元個人対応。
これまで多くのスポーツクラブでは、ある時点での健康状態や画一的なトレーニング・プログラムを提供するに留まっていました。アクラでは、エグザス・フィットネス・カウンセリング・システムを導入。全国10万人以上のエグザス会員のデータに基づき、一人一人に合わせたきめ細かいカウンセリングが行われます。アクラだけがお届けできる「人にやさしい」ヘルスプログラムです。
雑誌の記事
オリーブのスクラップ
本牧に、都市のオアシス「MYCAL本牧」誕生。
戦後、米軍基地ができ、アメリカンハウスが建ち並んでいた街、本牧。ブルージーンズ、チューインガム、ハーシーチョコが似合った。この陽気な街は、まるで、『アメリカン・グラフィティ』の世界そのものでした。そして、7年前に米軍の接収を解かれた本牧に、この春、巨大なショッピング・タウン「MYCAL本牧」が誕生。1番街から10番街までの建物に、世界のブランドショップ、レストランなどが勢ぞろいしました。
浜っ子タウン誌(1986年6月号)
本牧に”最後の楽園”地中海料理「LAS PARAS」
新鮮な海の幸をふんだんに使った地中海料理のレストラン「LAS PARAS」が、MYCAL本牧の5番街5F・6Fにオープンした。5Fはパスタ類が中心で、スパゲティ、タコス、ピザなどを気軽に味わうことができる。6Fは地中海料理・その日にとれた魚貝類の中から、自分で好みの素材、好みの調理法、好みのソースをセレクトできる「キャッチオブザディ」。シェフとあなたのジョイントクッキングが楽しめる。
映画館
オープン当初の映画館は、5番街の3Fに「シネスクエア本牧」があり、名画志向の「シネスイッチ本牧」と、エンターテインメント作品が中心の「シネページ本牧」の2館がありました。その後、
1996年6月29日に6番街の駐車場を「マイカル松竹シネマズ本牧」としてオープンした。(8スクリーン、1,239席)
マイカル松竹シネマズ本牧(2Fには、フードコートのSuimi)
道沿いに大きな看板を設置した(オレンジ色)
2004年4月25日に閉館し、2004年4月30日に「MOVIX本牧」として再オープンする。
MOVIX本牧(2Fは、凛々、Vivo、マック)
2011年1月16日に閉館した。
現在、道沿いの看板はパチンコエスタディオとなった。
MOVIX本牧時代
2番館へ移設したキッズタウン
当時の2番街と入口の「モーリーとマーリー」
キッズタウンの店内
1Fのテーマパークレストラン「GYAO」
オープン当時は、子供達が大騒ぎで大変混雑していました。バイキングもやっていて、料金は大人1280円・子供880円でした。※2000年6月に閉店
オープン以降に出店したファーストフード店
ファーストキッチン(旧:6番街1F 「アービーズ」)※2001年12月閉店
サブウェイ(旧:10番街1F「ミスターピザ」)※2001年4月閉店
ディッピンドッツ・アイスクリーム(エスパニア広場)-40度のアイス
世界一大きな鍋
MYCAL BIG POT 2001
1991年にイタリアで製作された鍋(直径5.9m・重さ3t)。92年から94年まで、恒例イベントで巨大パエリアを調理する為に使用していたが、2001年に子供達でペイントし時計として1番街の壁面に飾られていた。
こんなオブジェも
マイカル本牧とその周辺
マイカル本牧
マイカル本牧周辺
西田様は、日本建築写真家協会所属で当時撮影された素敵なコラムを掲載されています。
今後も、皆様からの情報、写真、資料等をお待ちしております。
コメント
Cold_Sleeper 様
貴重な写真をありがとうございました。早速、掲載させて頂きす。
すみません。「工事中の外壁アート」の写真
もし見つからなかった場合のことを考えて黙ってましたが
他にも撮影したものがあり、それらを探し続けていたところ
やっと見つかりました。20枚ほどあります。