この本は、横浜を代表する写真家、常盤とよ子さんが、撮影した赤線やチャブ屋等の写真と当時のエピソードや背景等を書いた書籍(写真集)である。
「よく、こんな写真が撮れたもんだ!」 店の前、銭湯に向かう、診療所、彼女達の素顔が残されていた。
真金町遊郭の写真が、1953年撮影と記載されているので常盤さんが、23歳の時に撮影した事になる。最初は、隠れながら撮影し危険な目にあった事が書かれているが、次第に堂々と撮影している様子が伺える。当時の赤線やチャブ屋で働いている女性の写真が貴重なのは言うまでもないが、更に女性がゆえ造られていない素顔の写真は、私が知っている限り、この本(写真)以外に見た事がなく大変、貴重な写真を見る事ができた。
特に印象深い写真は、病院でペニシリンの注射を受ける際に、うつ伏せでお尻を出しているが右手には煙草を持ち吸いながら待っている姿だった。病院に入って来る時もアイスキャンディーを食べながらドタバタ来て食べ終わったアイスの棒は窓から放るらしい。
常盤さんは、本文でこう書いている
「できあがったそのときの写真を見たとき、わたしはそのときのわたしの思いが、映像の背後にはっきりと見え、あのときと同質の感動にとらえらえた。わたしは声もなく「危険な毒花」と呟く内心の声を聴きつけた」
常盤さんは、当時の彼女達と様々な会話をしており本心や状況を詳細に記録していた。私が興味を持ったのは彼女達の部屋に実際に入って階級を表している事だった。
- 本牧 = 廊下は輝くようによくふきこまれ、調度品もずば抜けた高級品。着物も高価にみえた。
- 洋パン = 部屋は、約6畳くらいでベットと電蓄、洋服ダンス、鏡、茶ダンス、虚装の王宮と例えている。
- 赤線 = 洋パンの部屋より狭く、家具調度の数も少なく安っぽい感じ。用意される食事は夜でも豆腐とご飯ていど。
- あいまい宿、街娼 = 一番低い。
最後の方では、「売春禁止法案」をきっかけに赤線地帯から更生寮の話へと移って行く。
更生寮が出来ても予算が足りず彼女達の食事も質素だった。常盤さんは、赤線の彼女達も食事が質素でお新香を持って来て欲しいと頼まれた事を思い出していた。逆に、本牧や洋パンの彼女達は厚生寮では劣等生(厚生に時間が掛かる)となり地味な生活に馴染めず厚生寮を後にするんだなと感じた。
最後に、当時から個人を被写体にする事に批判する人間も多かったようだ。「おわりに」として常盤さんは、こう綴っている。
「存在価値を認めることのできない、一種の社会悪を、この目で、しっかと確かめ、それをありのままに作品化することに深い意義がある」
目 次
危険な毒花
- スカートをはいたカメラマン
スカートをはいて、下駄をひつかけ、カメラを片手に、わたしはぶらつと赤線へ……誰もわたしの目的を知らない。 - 横浜真金町遊郭
法華の太鼓と尼さんの行列にかくれて真金町遊郭へ一年に一度のわたしのチャンス……かなわぬときの仏だのみ。 - 覗くおんな
ヒロポン窟にとらえた、わたしの決定的瞬間!しかしわたしは跣足になって必死で逃げた…… - おこのみ焼屋
夫は実直なサラリーマン、妻は洋パン、奇妙な共稼ぎ夫婦をみた「おこのみ焼屋」の二階に通いつめてながめた赤線風景 - 夫婦茶碗のある部屋
真紅なカーテンに囲まれた彼女のお城、そこには家具が充満しておんなのはかない夢をうつしている…… - わたしの散歩道
わたしは彼女たちのカメラ屋さんだ。彼女たちの記念撮影が、わたしの散歩がてらの貴重な仕事場である…… - 白衣をまとつたカメラマン
わたしは県立××病院へ―アイスキャンデーをくわえたまま入つて来た七人のおんなたち、白衣にかくしたわたしのカメラのシャッターは切られた…… - 本牧チャブ屋の夜
特殊地帯の業者たち、わたしはその風丯のどこかに暗い決定的瞬間をとらえたかつたが、老女将からえたものは彼女の悲しい想い出だけだつた…… - どこにいる青い鳥?
「あたし××大学出よ」と自称する娼婦や幸福な家庭を夢みるおんなたち。彼女たちに青い鳥はいないのだろうか? - さまざまな娼婦
彼女の夫は外国の船員だ。夫のいないあいだ古巣にもどつて稼いでいるU子の場合…… - 狂つた毒花
そこに彼女たちの悲惨な旅路の果をみた。同性への哀憐のためか、わたしのシャッターは遂に切られなかつた。やはりカメラマンとしてよりも一人の若い女性としての自分をわたしはそこに見出した。
ファースト・フレックスからキャノンまで
- アナウンサーからカメラマンに
平凡なお嬢さんはいやだ。わたしは兄の友人Mさんに惹かれ、カメラマンに、一流の女流カメラマンになろうと決意したのだが…… - われシャッターを切れり
はじめての撮影会、わたしの愛機はファースト・フレックス……幸先のよい入選にこれならいけると…… - 観音さまのお賽銭
深夜の六区探訪記。わたしは夜の女とまちがえられて掴まされた五百円札。 - わが習作時代
ハマをホームグランドに、わたしはうつしにうつした。しかし尊敬するMさんは結婚した。わたしの暗い一時期…… - プロ作家への道
わたしの初めての個展、十四種の現代版「働く女性」をうつしてみたが、Mさんのいうとおりわたし自分の職事をうつすのを忘れていた。 - 「働く女性」二態
女子プロレスラー、ちんどんや、とわたしは同性のはげしく生きる姿に非情なレンズを向けたのであるが、そこにも生きる現代女性の哀歓があつた。 - ヌード撮影会
「女」の二人いる男だけの世界―そんな感じで、わたしはヌードをうつす男性の姿態にカメラを向けてみた。 - 「困つたお嬢さん」
プロカメラマンになつたわたくしも、なんとはなしにまだお嬢さん、スカートをはいて最初の失敗。 - わたしの前のひとすじの道
わたしはわたしを押しすすめるしかない。わたしは赤線地帯から、さらに一歩すすめて彼女たちの更生施設へカメラを向けた。
幸福への入口のある家
- わたしの暗い感傷
はたして彼女たちの更生は可能なのだろうか?わたし自身も確信はなく、その答えはわたしのカメラが答えてくれると考えて…… - 洋間と日本間のおんなたち
「日本間は優等性のお部屋というわけ」と寮母さんは言つていた。ベッドルームにいる彼女たちはまだ、かつての暗い記憶が生々しいのだろうか?
むすびに
あとがき
常盤とよ子(1957)『危険な毒花』 三笠書房.
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