この本は、著者:キャシー中島さんが、自叙伝として1996年までの、生い立ちを書いた書籍である。
「自分から物事を前向きに考えて生きる事を教わる本!」 1960年代の横浜最先端を実体験に基づきリアリティに書かれていた。
この本を読むきっかけは、横浜タカシマヤ開店55周年記念で開催された「横浜グラフィティ(ザ・ゴールデン・カップスの時代展)」のプロデューサーがキャシー中島さんで、また同時に発売された書籍「横浜グラフィティ」は、フィクションではあるものの、あとがきには「ノンフィクションに近い小説となった」とコメントされていた。その参考文献が、『キャシー中島の落ちこんでなんかいられない!』であったのが、きっかけとなった。
キャシー中島さんのブログ(2014/8/1)のコメントにも書かれている。
「本に出てくるナンシーは私のようなそうでないような?この著者の菅さんは私の友人で、ずっと前から横浜が輝いていた頃の話をしました!ファッションも、音楽も、踊りも、そして車を愛する若者も、この本の中で生き生きと輝いています!私の話から始まったこの本とイベント!」
キャシー中島さんのブログから
書籍の目次を見ると「第3章 横浜グラフィティ……不良少女と呼ばれて」があった!1964年の中学入学から話は始まっている。書籍「横浜グラフィティ」の書き出しも主人公とキャシー中島の同じ時代から始まる。キャシー中島は、深夜のゲームセンターで知り合った友達と小さなグループが自然と出来上がり、そして女ばかりの不良グループと知り合い、2年間の不良青春時代でありモデルへの道へのきっかけとなったと書かれていた。その、グループ名は「クレオパトラ党」と書かれており私も初めて、その存在を知りました。
「クレオパトラ党」
・ファッション - ミニスカートと長めのオカッパ頭
・集合場所 - マリンタワー下のハンバーガーショップ「ワトソン」 ※正式店名「Dog House」
・遊び場 - 中華街、本牧(ゴールデンカップ、イタリアンガーデン)
・ルール
一、お酒もケンカもOKだが、タバコはすってはいけない。
一、どんな店であろうと、いったん踊りはじめたら、その店で踊っている誰よりもカッコよくステップを踏まなければならない。
一、一度でも男とセックスしたら、メンバーから出ていくこと。
・騎士 - ナポレオン党(桜木町の「アシベ」という喫茶店で、助けられた等)
「キャシー中島さんの・・・」
「ファッション」
キャシー中島は、女優シェールの、ひざ下から広がっているフレア・パンタロンを見て、まだ販売されていなかったので生地を買ってデザインし、仕立て屋さんに作ってもらったとの事。原宿にレーサーが集まる「ピットイン」という店があり、ナポレオン党と横浜から繰り出したときに側で木綿の布地を売ってる店で買って仕立て屋さんに注文していた。ミニスカートに白いブーツの最先端ファッションで街を歩くときには「ハマのキャシー」と呼ばれていた。
「車」
大磯でのジムカーナ、鎌倉の朝比奈峠、第三京浜のタイムトライアル等に出かける。
「踊り」
フジテレビの「ビートポップス」という番組(司会は、大橋巨泉)の「ゴーゴーガールズ」に出演していた。スタジオでの生演奏は、ザ・スパイダースやザ・テンプターズだった。
「モデル」
テレビ出演をきかっけに仕事が入りモデルクラブに所属する。この時は、まだ中学校3年生だった。後に、レナウンの「イエイエガール」コマーシャルモデルとしてのデビューとなりモデルCF部門最優秀新人賞を受賞する。
ざっと、本牧に関係のありそうな部分を抜粋したが、私は反省した。この本を読むまでは、「キャシー中島さんは若い頃、本牧で遊びまくった人」と勝手にイメージしていた。この本を読むと純粋に、時代の最先端を生きるという事で、ファッションや踊りに命を掛けて過ごした青春時代だったんだなと感じ、また「クレオパトラ党」は、セックス禁止であり、本に書かれている「初恋」を読んでも理解できた。キャシー中島さん、勝手なイメージを持ってすみませんでした。
現在、キャシー中島さんは、キルトの先生でもありますが、きかっけは幼少時代に過ごした、おばあちゃんの家で共同生活しているシャツの縫製をする人がいて、端切れをもらい遊んだ記憶がさせていると本書で書かれています。
「横浜グラフィティ」のイベントにも素敵なキルトの作品を展示されていたので紹介します。
本書には、キャシー中島さんの生い立ちから、現在の夫(俳優:勝野洋)との生活までが綴られている。当時は、ハーフで生まれたというだけで苦労が始まり、苦い経験も多数あった中、いつも前向きに考え行動する姿に自分も元気になれる素敵な作品でした。本書では、長女の七奈美さんの「ただいま~っ」から書き始めとなり、最後のあとがきでも七奈美さんの「ママ、最近イライラしてなぁい。ママのお母さんのところに、お墓参りに行ってきたら?」の言葉から母親と娘の関係を話されています。その後、七奈美さんは、2009年7月、肺がんのため29歳の若さで世を去りました。
心からご冥福をお祈りいたします。
最後に、キャシー中島さんは、こう綴っている。
どん底まで行ったら、それ以上、悪くなりっこありません。後は上がるだけ。だから今日も、私は私に明るく声をかけます。
「明日に向かって、さぁ、キャシー。落ちこんでなんかいられないわよ」
この本は、私が自分の生いたちをはじめて語ったものです。この本を、亡き母、最愛の夫、かけがえのない宝物である子供たちに捧げます。そして、私と私の母の物語を、最後まで読んでくださったみなさん、本当にありがとう!
壮絶な辛さの中、今もなお青春時代と変わらず何事にも精一杯生き抜くキャシー中島さんに陰ながら応援したいと思います。
目 次
はじめに……思春期の娘たちへ
第1章 預けられて育った幼い日のこと
- テルおばあちゃんと暮らした石川町の家
- アメリカに渡った母の結婚
- 父と別れ死にものぐるいで働いた母
- 食べられなかったお菓子
- 八千代のために
- 水商売の母の姿に傷ついて
第2章 夢にまでみた母との暮らし
- それは押しかけ同居で始まった
- 妻子ある男の子供をみごもった母
- 弟なんかいなければいい!
- 母のタンカ
- 女たちの人生ドラマ
- ヒスイの指輪事件
第3章 横浜グラフィティ……不良少女と呼ばれて
- グレていった中学時代
- 「ハマのキャシーを知らないの?」
- どこまでも母に反抗して
- モデルへの道が開けた日
- 待っていた不良グループの制裁
- 中学卒業目前のある事件
第4章 トップモデルへの道
- トップの座獲得大作戦
- 初恋
- 19歳のウエディングベル
第5章 さまざまな出会いと別れ……離婚、そして不倫の恋
- 勝手に出されてしまった離婚届
- モデルからタレントへ
- 生き別れた父との再会物語
- 「顔なしタレント」時代
- 妻子ある人と恋におちて
- 若い不倫の恋の終わり
第6章 自分でつかんだ幸せな結婚
- 勝野さんに決めた!
- 猫のキティが縁結びの神様
- 結婚を見届けて逝った母
- 泣いてなんかいられない
- 80本のバラ
あとがきにかえて……お母さんありがとう!
キャシー中島(1996)『キャシー中島の落ちこんでなんかいられない!』 扶桑社.
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