本牧で有名な食べ物と言えば、真っ先に「四角いピザ」と答えるでしょう!
昔の有名店では、イタリアンガーデン、リキシャルームやベニスで食べられ、美空ひばり一家をはじめ、力道山、勝新太郎、石原裕次郎、石原慎太郎、三島由紀夫などの著名人がよく足を運んでいました。
現在は、道路を挟んだ向かいに、「IG(イタリアンガーデン)」として継承し、四角いピザが食べられます。しかしながら、「なぜ、本牧のピザは、四角いのか?」由来については、諸説があり、はっきりしていません。
そこで、今回は「本牧の四角いピザ」について、真相を解明しようと調査を開始しました。
本牧ピザが四角い諸説
まずは、大まかには、次にあげる諸説が言われています。
①本牧イタリアンガーデン開店時のコックが元潜水艦コックで、狭い厨房で面積を大きく使い焼いていた為。
②当時、日本には、ピザを焼く石窯などがない時代だった為、四角いオーブンで焼いた為。丸い耐熱皿が無かった等。
③そして、リキシャルームのオーナー(イタリアンガーデン2代目オーナー)の娘が、こう言っています。
「丸くしようと思っても、どうすれば良いのかわからなかったし、そのころの業者では丸い型を造れなかったためだと、父から聞いている」とエヴリンさん。
※はまれぽ.COM「本牧リキシャルームの今昔」
あれ?さすが「はまれぽ」。娘さんに直接インタビューして、回答が出てしまいました。しかし、「本牧」については、「本牧グラフィティ」が負ける訳には、いきません。結論から言うと、諸説すべてが正解なのですが、真相に迫って行きたいと思います。
日本のピザの歴史
まずは、日本のピザの発祥から調査しました。参考:ピザ協議会
・1944年 第二次世界大戦中、イタリア海軍最高司令官付きコック長のアントニオ・カンチェミが神戸に二ヶ月間だけレストランを開き、初めてピザを焼いた。その後、西麻布に移転し、現在、南青山の「アントニオ」
・1946年 イタリア出身のアベーラ・オラッィオが宝塚市にオープンした、イタリアンレストラン「アベーラ」で、ピザが提供された。
連合国に降伏し、イタリア人のアントニオ・カンチェミとアベーラ・オラッィオの二人は、姫路の捕虜収容所に入り、戦後に武庫川河畔の武田尾温泉で知り合った日本人姉妹と2人共に結婚して 2人は義理の兄弟となりました。
参考書籍:「風よ 僕らに海の歌を」(単行本)
両店とも、イタリア人が関西のレストランで、ピザを焼いています。但し、四角いピザでは、ありません。
そして、数年後に東京で、全国的にイタリア料理(ピザ)を有名にした老舗の店舗が現れます。
・1953年 銀座「イタリー亭」開店:吉田清重『丸いピザ』
・1954年 六本木「シシリア」開店:堀井克英『四角いピザ』
来ました!四角いピザ!六本木「シシリア」
・1954年 六本木「ニコラス」開店:ニコラス・ザペッティ『丸いピザ』
・1958年 西麻布「アントニオ」開店:アントニオ・カンチェミ『丸いピザ』
・1960年 六本木「キャンティ」開店:川添浩史『一口ピザ』
四角いピザの発祥
六本木のイタリアン料理店が、ほぼ同年代に創業したのに、「ニコラス」の丸いピザに対して「シシリア」のピザが、四角いピザです!では、なぜ?創業者の堀井克英さんは、四角いピザにしたのか?
更に、調査してみると、ビックリする事実が判明しました。
堀井克英がレストラン経営をはじめることになったのは、まったくヒョンなことからであった。
親に勘当されて、食うや食わずで、街をうろうろしている時に、知り合いのアメリカ人と民間人用のPXで出会った。
堀井が慶応大学時代に知り合った陸軍大尉であった。その大尉は、ヤミ市で儲けたお金で、横浜本牧にレストラン「ランパスルーム」を開店していた。
その店には、日本人マネージャーがいなかったので、堀井を本牧のレストラン「ランパスルーム」に呼んで雇用した。
堀井はレストランで働きながらマネージメントの勉強をした。しかし、その店は、イタリアン料理では、なかった。
オーナーの大尉が、本国送還になってしまい、そのあと、店を買い取ったのが、元子爵家(修正:元伯爵家)の東久世寿々子の夫だった。
リチャード・テラスというアメリカ人の弁護士。オーナーが不在となった「ランパスルーム」を買収し、(修正:「ポートホール」を経て)「イタリアンガーデン」というイタリアン料理の店をはじめた。古い従業員はクビになったものの堀井だけは、“あなた、慶応ボーイならいなさいよ”の一言で、店に残ることになった。
「イタリアンガーデン」は、二、三坪の小さな庭があって、そこでも食事ができるようになっていた。店名は、そこからきている。
新オーナーが、連れてきたコックはイタリア人で、元潜水艦のコックだった。この男が、日本でイタリアン料理を作るはしりになった。
堀井は言う「シシリア」のピザが四角い理由は、「潜水艦のピザが、四角型だったからですよ」広田 豊(1989)『六本木物語―栄光の時を刻む街』TIS
なんと、イタリアン料理を全国に広めた六本木の「シシリア」のオーナーは、開店2年前に本牧の「イタリアンガーデン」で、元イタリア潜水艦のコック(ジョー・バナティニ)から、四角いピザを教えてもらっていたのです。
修正:東久世 章 様(Richard Tullis 様と東久世壽々子様のご息子)のお話を伺いますと、1952年3月20日14時に「PortHall」という店名で開業し後に「Itarian Gardens」となりました。下の写真(左の黒い建屋)でも、「Itarian Gardens」となっており(S)が付いています。
・1952年 本牧「イタリアンガーデン(ズ)」開店:リチャード・テラス(オーナー)
では、潜水艦での料理について、調査を続けます。
下の写真は、実際の潜水艦の厨房でガーリックパンを焼いている様子です。
潜水艦内部の厨房は、こんな感じなのですが、当然「火」は使えず、電気コンロやオーブンで調理します。また、こんな狭い厨房で約100人の食事を作ります。電気オーブンで焼くために、早く大量に焼けて、オーブンを最大限に利用するには、丸型よりかは、四角い方が、面積を考えても、より多くのパンが焼けます。
一般的なピザは、石窯で焼く丸いピザですが、イタリアでは様々な種類のピザがあり、潜水艦では、シチリア島のパンピザを焼いていたと思われます。そのピザは、「スフィンチョーネ」と呼ばれ、別名「シシリアンピザ」とも呼ばれている、四角いパンピザなのです。
もう、お分かりだと思いますが、堀井さんが、六本木に出店した「シシリア」の店名の由来も、シチリア島(シシリアン)なのです。
「スフィンチョーネ(シシリアンピザ)」は、シチリア島のパレルモの庶民フードです!(オーブンで焼く、パンピザ)
ちなみに、切り売りされている四角いピザの「ピッツァ アル ターリオ(Pizza al Taglio)」は、第二次大戦後、ローマで発祥した歴史の浅いピザなので、潜水艦で焼いていた時代には、ありません。「アルターリオ」は、お客様の要望に応じて切り分けて、グラム単位で量り売りしている「切り売りピザ」です。
本牧のピザが四角い理由
最初にあげた、「本牧の四角いピザ」の諸説は、次の通りと判明しました。
①本牧「イタリアンガーデン」の初代チーフ:ジョー・バナティニ(元イタリア潜水艦のコック)が、経験からパンピザ「スフィンチョーネ(シシリアンピザ)」を参考にした。
②上記の理由は、当時丸いパイ皿がなかったので初代チーフがオーブンの天板に直接ドウを貼り付けて焼いたので四角くなった。(情報:東久世 章 様が、二代目チーフの増田さんから教えてもらったとの事)
③2代目の「イタリアンガーデン」のオーナー:米国人船乗りハリー・コーベットさんも、初代オーナーさんから理由を聞いており、その後も四角いピザを継承して現在に至る。
日本での「四角いピザ」は、六本木の「シシリア」より、本牧の「イタリアンガーデン」が先だったのです。
更に、衝撃的な事実も分かりました。それは、六本木の「シシリア」と同時期に、丸いピザを出していた「ニコラス」についても関連があります。
「ニコラス」のオーナー、ニコラス・ザペッティは、元々は、東京のCPC(私有財産保管部)で働いていました。
別人の元GIが、各地の軍用施設でコックを務めた後、レストランをオープンしたが、米軍配給のビールをヤミで手に入れて、レストランで客に出していた。それだけではなく、GI仲間から配給チケットを譲り受けヤミ市で売りさばいていた。しかし、米軍にばれてしまい御用となる。その時に事件を担当したのが、「ニコラス」のオーナー、ニコラス・ザペッティだった。二人は、共同で六本木に、イタリアンレストラン「ニコラス」を開店し、元GIが調理を担当し、経理は、ニコラス・ザペッティが担当した。
その、元GIコックが、最初にオープンしていた、レストランは、なんと!
横浜の「オリジナル・ジョーズ」だったのです。ロバート・ホワイティング(2002)『東京アウトサイダーズ ― 東京アンダーワールド2』角川書店
・1953年 関内「オリジナル・ジョーズ」開店:ジョー・ディベロ『丸いピザ』
六本木にオープンした「ニコラス」は、横浜の「オリジナル・ジョーズ」の元GIコックがメニューを作ったのです。ですから、「ニコラス」のピザも丸く同じような感じで仕上がっていました。
この「オリジナル・ジョーズ」は、お店に行ったことがない人でも知っているのでは、ないでしょうか?有名な曲で、ザ・ゴールデンカップス:エディ藩の「横浜ホンキートンク・ブルース」の歌詞に出て来ます。
“飯を喰うなら「オリジナル・ジョーズ」なんて、聞いたふうなことをぬかしてた”
(エディ藩は、ライブで歌詞の「オリジナル・ジョーズ」を、「ゴールデンカップ」と言い換えたりします。)
では、「バンド:ザ・ゴールデン・カップス」が誕生した、本牧の「レストラン:ゴールデンカップ」のピザは、どうなのでしょうか?
・1964年 本牧「ゴールデンカップ」開店:上西四郎『丸いピザ』
本牧のイタリアンガーデンの四角いピザではなく、関内のオリジナル・ジョーズを継承したのか?丸いピザを焼いています。
但し、これは「ゴールデンカップ」の上西オーナーが、京都出身なので、関西=丸いピザ(ナポリ風)だったのかも知れません。
後日談:直接、上西さんに「ゴールカップのピザが丸い理由は?」と聞いてみました。回答は・・・
「は?ピザは、本来丸いもんやろ?オリジナル・ジョーズ?関係なし!逆に、ピザが四角い方が不思議やわ」
上西さんの話が、もっともでした。ありがとうございます。
話は、四角いピザに戻して、本牧イタリアンガーデンで、日本人マネージャーだった、堀井さんは、こう言っています。
堀井がイタリア料理をはじめたのは、別に時代の先取りをしたというわけでなかった。
「たまたま私を拾ってくれた外人が、イタリアン料理をはじめたというだけですよ。非常にアメリカ人というのは、イタリアン料理が好きなんです。」
特にピザの類(たぐい)が好きだ。
「アメリカ映画を見てごらんなさい。刑事とかみんな、ほとんどピザを食っているシーンがでてくるじゃないですか」
ピザは、もともと大衆的な食べ物。
「ただ、日本では高級化しちゃったんですね。でも、いまどこのスナックいってもありますものね」
それだけ浸透したということだ。ピザは日本人の舌にあったのかもしれない。
「日本人というのは、チーズの味が好き。ウイスキーといえば、誰れ彼れとなくみなチーズ。ただ、トマトのキライな人は多い。だからそのあたりが難しいですよね」
堀井は、自分の店で出すピザに関しては、絶対の自信がある。
「手前ミソですが、自信を持ってお客さんにすすめられます」
サラミのピザ。マッシュルームのピザ。どれもうまい。匂いがよく、下の土台が薄い。
「イタリアのピザなんて食えないですよ、まずくて」
下の土台が、ものすごく厚いのだ。ピザは手で摘んで食べるのがいい。ときとして、土台がピチャピチャと腰が定まらないのがある。
「それは出来合いのを買ってくるからいけないんです」
自分のところで作らないからいけない。ピザは土台が命。イーストをぶっ込むから厚くなる。
「下を作るので大騒ぎなんですから」
「シシリア」のピザを食べたとき、「うん、これは本物の味だ」といったら、堀井はいとも簡単に、「いや、本物じゃないです。これは、うち流です」
といって、笑った。値段は七百円。ピザとしては、ちょっと高いと思われるかもしれない。
「ただ、私はけっして高いとは思っていない。ピザにうるさい人にだしても合格点をくれるんですよ」
それほど、自分の店で作るピザに自信を持っているのだ。そのピザは、酒のツマミに恰好のものだ。焼酎でも日本酒でもワインでもビールでも、何でも合う。
「合わせて食うほど、上品な食べ物ではないですもの」
それがピザなのだ。スパゲッティは、イタリアのほうがうまい。
本牧ピザの提供店歴史
1952年、本牧のレストラン「ランパスルーム」を、Richard Tullis(リチャード・テュリス)さんというアメリカ人の弁護士(元伯爵家の東久世寿々子さんの夫)が、買い取り、「PortHall」の後、イタリアン料理の「イタリアンガーデン(ズ)」を開店。(四角いピザ)
スタッフは、旧店舗から唯一継続した、堀井克英さん。コックには、イタリア人(ナポリ生まれ)で、元イタリア潜水艦のコックだった、ジョー・バナティニが雇用された。日本では、イタリアン料理の走りとなる。メニューの主役となる、ピザだが、当時は石窯も丸いパイ皿もない時代だった。コックのジョー・バナティニは、今まで潜水艦の狭い厨房で、電気オーブンで焼けるパンピザ「スフィンチョーネ(シシリアンピザ)」を思い出した。シチリア島のパレルモの庶民フードで、厚めのパン生地に、具材を乗せてオーブンで焼く、四角いパンピザである。
この「スフィンチョーネ(シシリアンピザ)」を基本に改良してオリジナルピザを作った。現に、堀井克英が「シシリア(六本木の店名)のピザは、本物じゃないです。これは、うち流です」と、インタビューで答えている。厚めのパンピザから、薄めの手作りの生地をピザの土台にしたようだ。
堀井談:「イタリアのピザなんて食えないですよ、まずくて」、「それは出来合いの(生地)を買ってくるからいけないんです」
これは、六本木「シシリア」時代に、薄い生地にしたのではない。現在の本牧の四角いピザも、薄い手作りの生地なのだ。なので、「イタリアンガーデン」のピザは、開店当初から四角い薄い生地のピザ(堀井の言う「うち流」)だったことになる。ちなみに、密閉して焼くオーブンでは、厚めの生地のナポリピザでは、水分が飛んで固い生地になってしまうそうだ(なので、石窯)。オーブンで焼くなら、ローマピザ、ミラノピザ、アメリカンピザのように、薄くてパリッとした生地が向いているとのこと。
以上の理由から、「イタリアンガーデン」では、四角い薄いピザを考案し、メニューに取り入れた。
(1952年、相模大野に「イタリアンビレッジ」開店。1959年に日本人が買い取り四角いピザを提供しているが、当時、四角いピザを提供していたのか?本牧との関係性も不明。写真では、ステーキとサンドウィッチが看板に表示されている)
(1953年、関内のイタリアン料理「オリジナル・ジョーズ」開店。※丸いピザのレシピが横浜市内に流れた。)
(1954年、堀井克英が、「イタリアンガーデン(ズ)」を離れ、六本木に、「シシリア」を開店。(四角いピザ))
(1954年、六本木に、「ニコラス」開店。(丸いピザ))
(1958年、西麻布に、「アントニオ」開店。(丸いピザ))
1958年、ハーリー・コーベットが「イタリアンガーデン(ズ)」を買い取る。
(1959年、相模大野の、「イタリアンビレッジ」を日本人が譲り受け「イタリアンガーデン」を開店。(四角いピザ))
(1960年、六本木に、「キャンティ」開店。(一口ピザ&お土産))
961年、本牧に、「リキシャルーム」開店。(四角いピザ)※イタリアンガーデン2代目オーナーと同一で、ハリー・コルベット氏と奥様の飯田かよ子さん
1962年、レストラン「イタリアンガーデン」の隣に、「CLUB ITALIAN GARDENS」が、開店する。
※「CLUB ITALIAN GARDENS」では、隣のレストラン「イタリアンガーデン」のピザを宅配で食べられた。
1965年、「ベニス」開店。(四角いピザ)西沢オーナー※レストラン「イタリアンガーデン」を買い取り「ベニス」になる。
※「CLUB ITALIAN GARDENS」では、継続して「ベニス」のピザが宅配で食べられた。
1966年、「アネックス」開店。(四角いピザ)リサ オーナー※ピザのパテは、リキシャルームから購入。
1960年代から、「イタリアンガーデン」、「リキシャルーム」、「ベニス」、「アネックス」に『本牧の四角いピザ』が定着し、東京(六本木等)から本牧まで足を延ばし、著名人が深夜に遊びに来ていたことにも納得が行く。
「イタリアンガーデン(CLUB ITALIAN GARDENS)」は、オーナーも入れ替わり、バブル時代に、ライブハウスからプールバーやフィリピンパブ等にもなり、閉店・再開店を繰り返していた。また、1989年に「四角いピザ」を出しているのは「リキシャルーム(アネックス)」と「ベニス」、のみとなった。
1990年、「イタリアンガーデン(CLUB ITALIAN GARDENS)」を、八木オーナーが当時のライブハウス時代の「イタリアンガーデン」を復活させ、メニューに「四角いピザ」を出す。
※当時のメニュー(現在も、向かいの継承店IGに飾られています。)
1996年、「イタリアンガーデン」、「ベニス」、「アネックス」閉店。(マンションになる)
1997年、「IG」イタリアンガーデンの継承店が開店。今でも、本牧の四角いピザが食べられます。
2009年、「リキシャルーム」閉店。(2002年に旧店舗閉店)
私の調べた限りでは、「四角いピザ」の日本発祥の地は、まさしく本牧でした。
石窯も丸いパイ皿もある現代においても、本牧では今でも当時からの四角いピザを継承して現在に至っているのでした。
本牧では、「本牧って、どのお店に入ってもメニューに四角いピザがあるんだよね!計画」を推進しており、どんどん四角いピザの取扱い店が増えています。
平松洋子さん著書「おいしいごはんのためならば」に「四角いピッツァを港町で」があり、参考にしています。しかしながら、各店舗での創業年代に違いがあったり、”丸いピザ”も含まれていた為、独自に掘り下げております。
コメント
ジジさん!コメントありがとうございます。
四角いピザは、イタリアンガーデンが発祥なんですが、途中でピザを作らなくなって(その後、八木さんが復活させますが)地元の人は「ベニス」で食べる機会が多かったと思います。今、その八木さんが「四角いピザ」を扱う協力店舗に声を掛けて、どんどん増えています!本当に消えないで欲しいものです。
「本牧ピザ」https://www.honmokupizza.com/
本牧出身です
大変懐かしく読ませて頂きました ベニスの味は忘れられません 昨日桜木町で四角いピザを見つけ 食べたくなりました あの薄くて美味しいピザ 本牧の特徴だったんですね 消えないでほしいです
Shin さん!コメントありがとうございます。やはり、軍隊で四角いピザパンのような厚めの生地から始まって、本牧のお店で薄い生地にしてメニューに出してピザから「本牧ピザ」と言われたみたいです。自宅で食べる四角いピザは、当時から引き継がれていて美味しいでしょうね!今後とも宜しくお願いします。
我が家のピザも四角です。
父が終戦後に佐世保にある米海軍基地のベーカリーで働いていたので、その頃から家で作ってくれるピザやケーキは四角でした。生地はイースト菌で醗酵させるので厚めです。
結婚後、妻が父からピザやケーキの作り方を教わり、それ以来我が家では四角のピザです。
四角いピザは、記事の通り米海軍から来ていると思います。
これからも良い記事をお願いします。
親族様からコメントがあるとは、大変驚き恐縮しております。
本牧の四角いピザには、諸説ございまして色々と調査をしていました。
頂戴しました、コメントを基に記事を修正させて頂きます。
貴重な、ご意見を本当にありがとうございました!
私は「Itarian Gardens」のオーナー:Richard Tullis(リチャード・テュリス)と東久世壽々子の息子、東久世 章と申します。懐かしいお話の数々、興味深く読ませていただきました。四角いピザの由来、私がチーフに聞いた話では、当時丸いパイ皿がなかったのでオーブンの天板に直接ドウを貼り付けて焼いたので四角くなったとのことです。それとイタリアン・ガーデンはたしか最後にSがついていてガーデンズだったように記憶しています。それと、もう一点、母の実家は子爵家ではなく伯爵家でした。そしてもうひとつ。イタリアン・ガーデンスになる前、しばらくの間「ポート・ホール」という名前で営業していた時期がありました。この時は米兵相手のバーでイタリア料理店ではなかったと思います。