先日、横浜港大さん橋で開催された「地図展横浜のまち みち みなと」に行きまして、地図での歴史表現に感動しました。
横浜全体の、古い地図や最近の地図との比較等は書籍やネットでも多々あります。しかしながら、本牧に特化した時間軸の経過を見られる資料は、少ないと感じました。
そこで!実測に拘り作ってみました。(分かりやすいように旧マイカルあり)
▽1871年「横浜近郊実測図」※現在の航空写真と比べると実測とは異なっておりました。
①最初は、1881年の実測地図(私が知っている中で一番古い実測地図)です。これは、1865年に作られた外国人遊歩道(地図の赤ライン)がメイン道路としてあります。また、現在の本牧神社もマンダリンブラフとして有名だった十二天社として存在しています。
②次の地図は、1911年の航空写真です。今の本牧通り(地図の黄ライン)に、明治44年12月26日 横浜電気鉄道本牧線開通(西ノ橋・本牧原町間)が開通します。これにより、静かだった本牧には、大勢の観光客(特に夏場は、海水浴)で賑わう事となり本牧の知名度が一気に上がりました。と同時に、チャブ屋も十二天社の下(緑と青の線)あたりに数多く建てられています。
③次の地図は、1947年の航空写真です。本牧の街並みは、米軍に接収されエリア1、エリア2となりフェンスに囲まれて日本人は入れなくなります。ご覧の通り、十二天社もエリア内となり、チャブ屋街と共に消えてしまいました。但し、当時はまだ埋立が進んでおらず、十二天社は海に面していてマンダリンブラフは、存在していました。
▽アメリカ軍で作成したエリア1、エリア2のマップ(緑色がフェンス)
④次の地図は、1982年の航空写真です。接収解除直前だと思いますが、既に十二天社は埋立地に囲まれて海(水色が海岸線)の存在は見られません。③と比べると特に画像左に民家が密集して建てられているのが分かります。
➄現在の航空写真です。接収が解除となり、その地にはマイカル本牧が建てられ、マンションも数多く建ちました。街並みは、ずいぶんと変化を遂げます。
海が見えなくなり、かなり、本牧は変わりましたが・・・
十二天社も残っていますし、外国人遊歩道や海岸跡も一部は残っているんです!
十二天社は、整備中で公園になる予定ですし、本牧市民公園では海岸跡が見られます。また、マップを作成してみて気づいたのですが、接収地以外の外国人遊歩道は現在もほぼ残っていました。
そこで、みなさんも本牧の今昔を歩いていただけるように、Google map を作成しました。
興味のある方は、開港当時の外国人遊歩道や十二天社、フェンス沿、海岸跡を想い散策してみてはいかがでしょうか!
より大きな地図で 本牧旧道(外国人遊歩道) を表示
コメント
やまちゃん
コメントありがとうございます。各地で様々な地図の有効活用した内容で感心いたしました。
また、ちょこちょこ訪問させて頂きます。今後とも宜しくお願い致します。
YOUさま
地図豆のやまちゃんです。
「ブログ地図豆」へ 訪問ありがとうございます。
そこでも書きましたが、横浜に特化して歩いている訳でもありませんから、
こちらこそ間違いなど、いや面白いところを紹介いただければうれしいです。