ヘボン邸跡の碑

横浜の歴史散歩
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横浜市中区山下町39(根岸線石川町駅下車10分)

石川町駅を降り、堀川を海岸方向に歩き谷戸橋前の横浜地方合同庁舎前にヘボン来日90周年を記念して設立されたヘボン邸跡の碑がある。ヘボンは1815年3月にアメリカで生まれ、大学で医学を学びニューヨークなどで開業していたが、アメリカプロテスタント長老教会の日本伝道に応募し、1859(安政6)年10月に来日した。来日後、一時神奈川の成仏寺に住み、そこで近代兵制樹立に尽力した大村益次郎らに英語を教えた。1861(文久元)年春には宗興寺に診療所を開き、翌年11月、神奈川から記念碑のある横浜居留地39番地に移り、本格的に施療事業を行なった。ヘボンは歌舞伎の立女形(たておやま)として名声を博していた3代目沢村田之助の脱疽(だつそ)を治療し、アメリカから取り寄せた義足を付けた。田之助は関内の下田座でお礼興行を行い、ヘボンの名をいっそう高めた。

1863年10月、ヘボン夫人クララは日本最初の男女共学の英学塾を開き、後に首相となった高橋是清とか外相となった林董(ただす)や星亨(とおる)もここで学んだ。この学校は後に明治学院となった。

この間、ヘボンは新聞事業の先駆者の岸田吟香(ぎんこう)と協力し、わが国最初の和英辞典である『和英語林集成』を1866年に完成させた。この辞典のローマ字綴りがヘボン式ローマ字の基礎となっている。

1875年、ヘボンは山手245番地に移り、ブラウンやグリーンらとともに『新約聖書』の翻訳事業に参加し、1879年に完成させた。この作業は山手211番地のブラウン宅で行われ、そこは現在横浜共立学園の敷地で、「新約聖書和訳記念之地」というプレートが残されている。

参考 神奈川県の歴史散歩 山川出版社 1996

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