ザ・ゴールデン・カップスの歴史

ザ・ゴールデン・カップス
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ザ・ゴールデン・カップスと言うと、やっぱりGS時代全盛期の「長い髪の少女」の印象が一番強かった。私は、本牧に憧れて住んでから「ザ・ゴールデン・カップス」に興味を持ち発祥の地となった本牧ゴールデン・カップという店にも足を運んだ。

【お店:ゴールデン・カップ】

【ザ・ゴールデン・カップス】

色々と、マスターの上西さんや店員さんに聞いたり、本やDVDからも情報を得て、クレイジーケンバンドの横山剣さんも音楽的な影響を受けた話や、剣さんのリスペクトする、CHIBOWさんとの関連もかなり深い事を知った。

(以下、敬称略)

デイブ平尾は、小学校から仲間だったマモル・マヌーと「スフィンクス」というバンドを組んでいました。そこへ、本牧のゴールデンカップからバンド演奏の依頼が来て、メンバーに「ファナテック」のエディ藩や「テイク・ファイブ」のケネス伊東・ルイズルイス加部を集めて「グループ&アイ」というバンドを結成してライブに出演していました。

その頃、柳ジョージは「ムー」というバンドにいて、CHIBOWは「ミッドナイト・エクスプレス」で陳信輝とバンド組んでいて、ルイズルイス加部、ミッキー吉野もザ・ゴールデン・カップスに加入する前には在籍しています。

そして、ルイズルイス加部が「グループ&アイ」に移籍し、ザ・ゴールデン・カップス初期のメンバーが誕生しました。演奏曲は、ビートルズが、リバプールサウンド全盛期の中、アメリカのブルースを演奏していました。
当時、アメリカの曲は半年後に日本に入る中、本牧ではリアルに流行りの曲が入りカップスが演奏して、たちまち有名になります。※ケネス伊藤のお父さんがPXの責任者だったので、最新のレコードが入手できたとのこと。

しかし、GSデビューでは事務所の計画で「長い髪の少女」などを演奏して皮肉にも大ヒットしたんだけど、新宿ACBなどライブでは、一切、日本語の曲はやらなかったらしいです。

その頃、CHIBOWは、陳信輝、柳ジョージ、ミッキー吉野などと「ベベズ」を結成しています。その後、カップスと同じ事務所から「パワーハウス」という名前に変えてデビューします。

ちなみに「べべズ」の由来は、現IG2Fシャッフルが「べべ」で、そこの最後のオーナーがCHIBOW。最初は、ブリジット・バルドーから付いたって説もありますが、CHIBOWさんは、ブリジット・バルドーじゃなく、BEBEフランス語で「赤ちゃん」の意味と言っています。

「パワーハウス」の名前は、柳ジョージの提案で、エリック・クラプトンが、結成したセッション・グループ”POWER HOUSE”から命名しています。

話を戻して「カップス」と「パワーハウス」は横浜の2大バンドとなりました。しかし、GS主流だった時代、「パワーハウス」の音楽的評価は、高かったのですが当時は先端を行き過ぎたのか解散してしまいます。その後、柳ジョージやミッキーは「カップス」に参加することになります。

両バンドともライブでは、ポール・バターフィールド・ブルース・バンド、ジョン・メイオール、サム&デイブ、ウイルソン・ピケットなど、レパートリーは似ていました。Mojosの「本牧ロック化計画」のアルバムでも聞いたことある名前だと思います。

その「ザ・ゴールデン・カップス」は、最後の仕事として沖縄のディスコで3日間の演奏スケジュールでした。最後の演奏で2年ぶりに「長い髪の少女」を演奏のラストに追加し、演奏中に「どおぞ~♪」と歌っている時に会場内で火災が発生し停電。機材を全部、焼失してしまいました。そして、翌月の1972年1月に解散となりました。

燃えるビルをメンバーで見つめ、デイブ平尾さんが「終わったな・・さあ、飲みに行こう」と言ったらしいです。

そうして、日本のR&Bを横浜発祥でもたらした2大バンドは幕を閉じました。

【私が思うこだわり】

解散10周年後に、デイブ平尾さんは六本木に「ゴールデン・カップ」というライブハウスを開店。2004年にはバンド再結成しました。メンバーの入れ替わりが激しいバンドで唯一、最初から最後まで在籍していました。「ザ・ゴールデン・カップス」のバンドにこだわっていたと思います。

一方、CHIBOWさんは今も本牧を拠点にして「パワーハウス」後も様々なバンド、CHIBO&ベイサイドストリートバンド、MOJOS、SKA-9など、常に新しいものを追求して行動するけれど、本牧にこだわり続けています。

そのこだわりを持ち続ける二人をリスペクトして、継承どころか今もなお残された、本牧電波を何倍にも増幅して自分の音楽にこだわるクレイジーケンバンドの横山剣さん。(ロンドンで「銀色のグラス」を聞いて衝撃を受けました)

やっぱり、本牧って街は魅了される街だと、つくづく思わされます。最近は、ちょっと寂しい街だと思われている感もありますが、まだまだ素敵な街なのです。

ゴールデン・カップの上西さん、IGの八木さん、ブギーのCHIBOWさん、リキシャの飯田さん、など当時の話を色々と聞きながらお酒と音楽に酔いしれる素敵な空間時間は、まだまだ健在な街です。
※ブログには、書けない秘密の話も沢山聞けると思います。

【最後に】

デイヴ平尾さんのインタビューで・・・

-平尾さんにとってゴールデン・カップスって何だったと思いますか?

「完全な青春の1ページ、1ページから10ページまで、すべてだね。俺めちゃくちゃ楽しかった。メンバーもいろいろ変わったけど全員良かった。」

ワンモアタイムのDVDでは、メンバーみんなから「親分」と言われて「トキさんが一番大変だったと思う」と言われて・・・再結成してメンバーみんなとお酒飲んで楽しそうにしてる姿を見たら本当に、メンバー全員が好きでカップスを愛してたんだとつくずく感じます。涙が出そうなくらい残念でした。再結成して本当に良かったと思います。

しかし、11月28日に予定されていたライブは、出たかったことだと思います。

デイヴ平尾さん、CHIBOWさん。両名共にボーカルなので同じ時代にバンドをやっていても一緒のバンドになる事は無かったのです。デイブさんのカップスとCHIBOWさんのベベズでは、数名のメンバーが行き来していました。

まさに日本のR&Bを横浜発祥でもたらした本牧2大バンドです。と同時に同じ時代を音楽で駆け抜け永遠の仲間?ライバル?そんな関係が素敵だなと実感しました。

カップスのデイブ平尾さんとモジョのCHIBOWさんが握手してます。

ザ・ゴールデン・カップスのボーカル兼リーダーのデイブ平尾は、2008年11月10日、食道がんにより63歳で、お亡くなりになられました。

デイブさん、素敵な音楽、本牧をありがとうございました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

合掌

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