チャブ屋の記事:神奈川新聞(戦後)
前回、神奈川新聞から「チャブ屋(戦前)」の記事を掲載しましたが今回は、「チャブ屋(戦後)」の記事を抜き出して当時のリアルな状況を調べてみました。
奇跡の「スターホテル」
横浜中区史に、「チャブ屋街では、三時間にわたる空襲によって、ただ一店、この頃としては数少ない鉄筋コンクリート造りのスターホテルだけが、焼失も倒壊もせず残った。」との文面と一枚の写真が掲載されていて昭和57年まで存在していたと書かれている。どのようにして、接収解除まで残っていたのか詳細を調べてみる事にした。
チャブ屋地図(戦前・戦後):Google map
本牧チャブ屋については、歴史や状況を当ブログで書いてきましたが、今回はチャブ屋の店名と所在地を明記した地図を作成しました。
チャブ屋の記事:神奈川新聞(戦前)
今回、神奈川新聞から「チャブ屋」の文字が使われている戦前の記事を抜き出して当時のリアルな状況を調べてみました。
横浜遊郭
本牧のチャブ屋については、このブログでも紹介したが、私娼のチャブ屋に対して公娼の遊郭が存在します。その、遊郭についても本牧と関連がある為、色々と調べてみた内容を紹介します。
横浜「チャブ屋」物語:重富昭夫
この本は、著者、重富昭夫さんが、編著した「チャブ屋」について本牧の歴史と一緒に書いた書籍である。「チャブ屋について、一番詳しく書かれた本!」チャブ屋を記憶している複数の方のインタビューも書かれていた。
危険な毒花:常盤とよ子
この本は、横浜を代表する写真家、常盤とよ子さんが、撮影した赤線やチャブ屋等の写真と当時のエピソードや背景等を書いた書籍(写真集)である。「よく、こんな写真が撮れたもんだ!」 店の前、銭湯に向かう、診療所、彼女達の素顔が残されていた。
メリケンお浜の一生:小堺昭三
チャブ屋で有名な小説は、小堺昭三の「メリケンお浜の一生」です。昭和47年5月号の「小説宝石」に掲載された。小説であるが、事実に近い内容を詳細に書かれていて本牧を代表する書籍。
チャブ屋(3)
チャブ屋の戦前から戦後の間に慰安所が存在しています。 【敗戦前後の神奈川】 1945年・8月14日 横浜市役所で「婦女子の避難について」を検討・8月15日 終戦日・8月16日 横浜市は女子職員に三ヶ月分の給料を与えて解雇・8月23日 神奈川...
チャブ屋(2)
横浜チャブ屋の歴史は、「1859年の開港後、港崎遊郭が開設される。」から始まりました。1958年までの約100年間で幕を閉じます。
チャブ屋(1)
ストレートに言ってしまうと大抵は洋館造りで1Fが飲み&ダンス。2Fは宿泊できる私娼のお店って感じです。色々な書籍とかも詳しく書かれていなかったり難しくて理解するまで時間が掛かりました。地図を参考に説明しています。