2009年7月9日 本牧十二天の丘が売却されるニュースが発表された!
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本牧十二天の丘 「鎮守の森」売却か 地元で困惑広がる
平安時代に創建され、千年近い歴史を誇る本牧神社が鎮座していた「本牧十二天の丘」。現在国有地として緑地保全されているその土地に売却の話が持ち上がり、地元住民らの間で困惑の声があがっている。
本牧神社(本牧裕司宮司・中区本牧和田19番地)は、もともと本牧岬の先端(本牧十二天1番地)に張り出した出島の中にあり、創建は平安時代とされている。船乗りや地元民の守護神として長年信仰を受けてきた。
しかし、第2次大戦後の昭和21年、米軍に土地を強制接収され、本牧町2丁目に仮遷座。返還後の平成5年には、横浜市の区画整理事業に伴い、十二天に戻ることなく、現在の本牧和田に遷座した。以後十二天の丘は国有地として現在まで緑地保全されてきた。
今回の売却話は昨年5月に国から横浜市にあった国有地、本牧十二天(0.7ヘクタール)の用途予定の問い合わせが発端。国の問合わせに対し横浜市は市の財政状況も踏まえ「当面の用途予定なし」と回答。これを以って、国有地の売却を進める国は同地売却の検討に入り、今年6月に横浜市と地元に準工業用途地域として売却手続きに入ったことを通知した。
現在は、関東財務局のホームページで地方公共団体等からの取得要望を受付けている段階で、7月末までに要望がなければ一般競争入札の手続きに入る。
6月の通知で初めて事態を知った地元では困惑が広がっている。接収解除後の本牧の街づくりや区画整理に携わった「本牧街づくり会議」会長の高橋敏昭さんは、「区画整理の際にも行政に対し、十二天は緑地保全して欲しいと要望していた。今回の売却話は信じられない」と話す。今後は神社の氏子総代や自治会と協力して、市や国に十二天を緑地保全するよう働きかけていきたいとしている。
横浜市は今回の売却の動きに対して、「市も財政再建途中で用地取得の余裕がないのが実情。国有地のままで保全してもらえればと思っていたのだが」と話す。だが一方で「これまで国有地は地方自治体が手を挙げれば無償で譲渡されることなどが多く、売却をするにしても手続きにもっと時間が掛かるのが通例だったが…」と見通しが甘かったことも認める。
市では、十二天の丘由緒や重要性を十分に認識しているとした上で、7月末までに何らかの要望書を国に提出できるよう検討している。
本牧神社の本牧裕司宮司は「かの地は平安時代の昔から地区住民の『聖地』として親しまれてきた場所。今後も緑地保全し、市民公園などとして永く歴史を後世に伝えることを切望している」と話している。
本牧十二天といえば、「お馬流し」や「チャブ屋」など本牧の歴史を語るうえでは、なくてはならない場所。
接収解除後は、放置状態ではあったが、地元住民の神聖な場所であり歴史的な場所なのに売却されてしまうのか?!と非常に残念に思った。
しかし、最近になって崖をコーティングする工事が行われており、災害対策かな?と思い調べてみたところ・・・
記事が発表された同年の2009年に横浜市が、国から買取っていました。
更に、最近では崖のコーティング工事が完了後、しばらくたつと今度は、登り階段などを建設しています。
また、ネットで調べてみると・・・
今年の2014年の発表では、【(仮称)本牧十二天緑地の整備について】ということで、横浜市が都市緑地として保全し、造園を行っていることが分かりました。
すでに、知っている方がいたと思いますが、私は知らずに気になっていたので年末に向けて嬉しい限りのニュースでした!
接収後に、立ち入り禁止となり、人々が遠ざかり、接収解除後も放置されたまま(立ち入り禁止のまま)だった「本牧十二天」、公園となって、また本牧住民を筆頭に多くの人々が訪れることを「本牧十二天」も、さぞ待ち遠しいことだと思います。
めでたし!めでたし!
※「本牧十二天」にまつわる歴史等は、今後のブログで紹介して行こうと思います。
▽本牧十二天
2015.2.5 無事に「本牧十二天緑地」として公園が開園いたしました!
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