この本は、小説家、谷崎潤一郎さんが、本牧のチャブ屋「キヨホテル」の隣に住み書いた戯曲(脚本)である。
「従来の日本人文化と異国人文化の複雑な関係を、恋愛関係を用いて書かれた本!」 その後、様々な人によって映画化や演劇化されている作品である。
この作品との出会いは、図書館検索で「本牧」をキーワードとして検索している時に何度も目にしていて、小説の『痴人の愛』は既に読んだが、「本牧夜話」は戯曲(脚本)なので敬遠していた。たまたま読んでみようかと思いタイミング良く借りることができた。
まず初めに、谷崎潤一郎を調べてみると、かなり興味深い人間だった。
・1886年(明治19年) 7月24日東京市日本橋区蛎殻町に生る。
・1920年(大正 9年) 大正活映株式会社脚本部顧問に就任。
・1921年(大正10年) 妻千代を佐藤春夫に譲るという前言を翻したため、佐藤と絶交する。
・1921年(大正10年) 本牧のチャブ屋「キヨホテル」の隣(現:本牧宮原883)に住む。
・1922年(大正11年) 台風の被害により横浜山手に引越す。
・1922年(大正11年) 大正活映株式会社が松竹キネマに版権を譲渡し映画製作を中止する。。
・1923年(大正12年) 本牧に影響を受けた「港の人々」や「横浜のおもいで」を発表。
・1924年(大正13年) 『痴人の愛』を発表。
突っ込みどころが多すぎるが、最初に「妻を友人に譲る?」という事である。これは、「小田原事件」とも言われており谷崎が妻の妹(セイ子)と再婚を考えて友人の佐藤(谷崎の妻に好意を持つ)に妻を譲るという約束(後に本当に再婚する)をした事である。そして、大正活映(現・中区元町1丁目31番地)設立時に脚本部顧問として呼ばれ本牧チャブ屋隣に住まいを構えた。
設立第一作『アマチュア倶楽部』(1920年11月19日)は、なんと!妻の妹(セイ子)に葉山 三千子と芸名をつけて主演としたのである。そんな、複雑な恋愛関係の中、チャブ屋の隣に住み谷崎(当時35歳)の生活は、ダンスを習い始め調度品から身の廻りまで洋風に変えた。
また、後の私小説「痴人の愛」で登場する”ナオミ”は、セイ子がモデルとなっており代表作となった。
さて、作品「本牧夜話」に話を戻すとあらすじは、西洋文化が入ってきたハイカラで日本文化離れした一家の別荘でのサマーバカンス話。しかし、出演者で日本人なのは、主婦だけで他は混血か外人なのである。内気で生真面目な日本人の主婦が一家と馴染めない上、主婦の亭主は外国人でダンスに来る他の外人女性と恋愛関係に落ちていた。また、日本人主婦に一方的に好意を持っている外国人もいた。その主婦には、混血の妹(異父)もいて好意を持っている男性は、主婦の夫の浮気相手を恋していた。
と、まあ~複雑な恋愛関係の中、日々一家に集まってダンスしてたんですよ!
当然と言えば当然なんですが、恋愛関係からのもつれから喧嘩となり、日本人夫婦が顔に火傷を負い多勢大勢の仲間から孤立してしまい最後には、亭主が愛人を殺し自分も自殺してしまいます。妹は、お姉さん(主婦)に好意を持っていた人と結婚するという話なんです。これは、まさに谷崎自分自身を描いた作品なんでしょうね。最後に自分は死んでも妻には生きてて欲しいという我儘ながら思っているというか。
この「本牧夜話」は、「アマチュア倶楽部」の2年後に、日活から映画化されていました。
製作=日活(京都撮影所第二部)
1924.09.05 浅草三友館
6巻 白黒 無声
監督 ……………. 鈴木謙作
脚色 ……………. 鴇田英太郎
原作 ……………. 谷崎潤一郎
撮影 ……………. 塚越成治
配役
セシルローソン(混血児) ……………. 林正夫
妻初子(純倭子) ……………. 酒井米子
妹弥生(混血児) ……………. 宮部静子
フレデリック(混血児) ……………. 三桝豊
アレキシイーフ(露国人) ……………. 吉田豊作
キチー(ホテルの女) ……………. 水木京子
レビア(ホテルの女) ……………. 牧貴美子
オハナはん(ホテルの女) ……………. 市川浦栄
ジャネット・ディーン ……………. 葉山三千子
ジャネットの養母(スカレーット・ホテルの女将) ……………. マーガレット・ゼーバリット夫人
やっぱり、「セイ子(葉山三千子)」なんですね~それも旦那の浮気相手役!
戯曲(脚本)なので、風景描写が当時の様子を伝えてくれます。
セシル・ローワンのサンマー・ハウス。- 前景に美しい芝生のある庭。それに臨んで赤ペンキを塗った和洋折衷の平屋建ての一と棟。下手後方に背の低い小松が二・三本植えられ、その向こうに生垣がある。垣根の外は砂浜の道路ですぐ海に続いている。家は両側にヴェランダがあり、そこのガラス障子が開け放されていて、庭の方から室内全部が窺がわれる。中央にテーブル・クロースをかけた食卓、椅子五・六脚、上手の壁際に食器棚、下手前方ヴェランダに近く籐の長椅子、その傍にティー・テーブル、大きな棕櫚の植木鉢、・・・すべて、ほんの夏の間を凌ぐだけの飾り付けがしてある。後方には四枚の襖が締め切ってあって、それを開くと奥にある隣室が見えるようにする。庭の生垣へ寄った方にも白ペンキ塗りの小卓と二・三脚の椅子が置いてある。
夏の晩のことである。幕が開く前にフォックス・トロントの蓄音器の奏楽につれて、男女数人がダンスをする足音が聞こえる。やがて静かに幕が上がる。
これは、谷崎さんの自宅じゃないですか?洋風調度品、ダンス、海辺・・・
興味深いのは、巻末の「注釈」で当時らしさが目に映る
・サンマーハウス(別荘)⇒ 本牧の外人が、海水浴を日本にもって来たんですよ
・メリンス(薄く柔かく織った毛織物)⇒ 「綿」で、ラシャメンも羽織った織物かな?
・パイ(小麦粉とバターとをこね、薄く重ねて伸ばし、果実の甘煮、又は肉類などを包んで天火でやいた洋菓子)⇒ 説明が長い!当時は、詳細を説明しないと理解出来ない代物だったんでしょうね。
・チャブ屋(横浜・神戸などの開港地で発達した船員や外国人の相手をする女のいる料理店⇒料理店?一応、届け出はそうでも・・・実際の事は書けなかったと想像してます。
当時は、若い女性を女形(男)が演じるのが普通だった時代に、いきなり妻の妹を水着で登場させるなんて斬新だったんでしょうね。谷崎さんも日本映画の未発達ぶりを嘆き「日本の活動写真の未来は要するに努力さへすれば決して悲観すべきではなくて、偉大なる民衆芸術として西洋人に示し得るに至るのである。それには日本在来の文学では不可はないが、只米国のそれを真似る事は禁物で、何処までも個有なのが望ましい。」と綴っています。
作品が先で生活が現実化されるのか?作品の為に生活を変えているのか?天才とは理解できないところもありますが、「マゾヒズム」や「エロティシズム」「フェミニズム」を描いた第一人者であり、本牧に影響された事は間違いない事実だと思います。
ここでは、詳しい谷崎潤一郎が見られます。
ちょっと待った!この時代のキヨホテル?まさか、それなら・・・・
キヨホテルで、いやチャブ屋で、いや世界で有名だった「お濱さん」が、25歳だった頃じゃないですか!
絶対に、二人に接点があったに違いない。また、色々と好奇心が湧いてきて寝られない、けど嬉しい。
どなかた、知ってる情報あれば教えて下さい。お濱さんについてのブログもご覧ください。
谷崎潤一郎(1978)『谷崎潤一郎文庫第六巻』 六興出版
「本牧夜話」は、図書館にしかないかも知れません。代わりに代表作品を紹介します。
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